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「学園ソング」は、なぜ、歌われなくなったのか?

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 昭和は遠くになっちゃった…?   02 



悪魔女まずは、上の曲をどうぞ!
いまさら言うまでもありません。
舟木一夫の『高校三年生』です。
この曲がTVやラジオから
毎日のように流されていた頃、
みなさんは、高校生、中学生?
それとも小学生でしたか?
支配人は、高校2年生でした。

――You Tubeより



 こういう曲をいまさらながら聴いてみると、「ああ、あの頃の自分たちは、何てノーテンキだったんだろう」と、支配人は思います。
 この『高校3年生』がリリースされたのは、1963年(昭和38年)。舟木一夫のデビュー作で、作詞は『高原列車は行く』などで知られた丘灯至夫(おか としお)氏、作曲は、かの大御所・遠藤実氏でした。
 なんと、これが230万枚も売れる大ヒット。その年の紅白にも選ばれ、レコード大賞新人賞にも輝きました。
 まだ、「演歌」という言い方もなく、「ポップス」という呼び方もなかった時代。日本生まれの大衆音楽は、ひとくくりに「歌謡曲」または「流行歌」と呼ばれ、外国生まれの「ポピュラーソング」と区別されていました。
 そんな中に現れたのが、詰襟姿で「赤い夕陽が~」と歌う舟木一夫であり、『高校三年生』でした。
 やや遅れて登場した三田明の『美しい十代』などと並んで、これらの楽曲は「学園ソング」または「青春歌謡」と呼ばれました。

ふくろう
「健全さ」が売りだった「学園ソング」

 「学園ソング」に共通するのは、そこに出てくる「友情」「夢」「仲間」などの「健全で美しすぎる言葉」です。ほんとうは、「友情」には「裏切り」も伴うし、「夢」には「挫折」が、「仲間」には「分裂」がついて回ったりします。しかし、「学園ソング」は、そういう「負の側面」には触れずに、「友情はいつまでも変わらない」などと、ためらいもなく歌い上げるわけです。
 ひねくれた少年であった支配人・長住などは、この「健全さ」に違和感を覚えもしたのですが、それでも知らず知らず口ずさんでしまうような、覚えやすいメロディラインとリズムを、これらの曲は持っていました。
 これらの楽曲が大流行した理由のひとつは、その健全さゆえに、家庭のTVで流しやすいということがあったと思います。すでにこの時代、TVは、各家庭に普及し、翌年の「東京オリンピック」に向けて、急速に「カラー化」が進められていました。家族がそろって一家に一台のTVを見ながら団らんしているという場面には、こうした健全さが歓迎されたのかもしれません。
 校内放送や各種イベントで唯一流せる流行歌として、「学園ソング」は市民権を得ていきました。
 舟木一夫が登場したのと同じ年、約半年遅れて、今度は三田明が『美しい十代』(←左・You Tubeより)を引っ下げて登場し、「学園ソング」は、当時の若者たちの間で、ちょっとしたブームになりました。

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テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

「昼カラオケ」がシニアを孤立から救う~ある居酒屋の試み

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 「晩友」&「コミュニティ」   06 

みんと外観 シニアの社交場として、いま、
「昼カラオケ」が注目されています。
たいていの店が、
《1000円、ワンドリンク付きで歌い放題!》というシステム。そんな中に、
福祉とカラオケを融合させた、
ちょっとユニークな店を発見!




 千葉県船橋市、新京成線「高根木戸」駅から歩いて7分ほどの閑静な住宅街に、その店はあります。
 「昼カラオケ みんと」と大きな文字で書かれた、外壁一面を覆うような看板。これなら、どんな高齢者でも、迷うことなく店を見つけられそうです。
 店内に入って驚かされるのは、奥正面に設けられた大きなステージと、その前に開けた広いフロア。そのフロアを囲んで「コ」の字型にボックス席とスタンドが並んでいます。
 「居酒屋カラオケ」としては、やや広すぎるとも感じるスペース。しかし、同店を運営する「株式会社ふくしねっと工房」の友野剛行代表は、「それこそが重要」と、ステージと広いフロアの意義を語ります。

カラス「昼カラオケ」にはステージが欠かせない――という理由

 友野代表によれば、「昼カラオケ」を「カラオケボックス」にしたのでは、あまり意味がないのだそうです。
 最大の理由は、「2人、3人で個室に閉じこもって歌う、という形では、グループ間のコミュニケーションが生まれないから」です。

みんとステージ みんと客
広いステージで気持ちよく歌うお客さん(左)とボックスシートで歌にに耳を傾けるお客さん(右)

 取材に訪れた日は、「敬老の日」ということもあって、店内は、高齢者のグループで、ほぼ全席、埋め尽くされていました。年齢は60代から80代まで。それぞれ、2人か3人ずつのグループに分かれて座っているのですが、1曲、だれかが歌い終えると、すぐ次の曲がかかり……というふうに、ステージには、常にだれかが立ってマイクを握り、身振り手振りよろしく、自慢の歌を披露しています。
 人が歌っているのを聞きもしないで、下を向いて歌本をめくり、自分の曲を探す――などという、カラオケボックスでおなじみの光景は、「みんと」では見られません。だれかが歌っている間は、ほぼ全員がスポットライトの当たったステージに注目し、それがムーディな曲であれば、1組、2組……と席を立って、ダンスを始めます。
 歌い終わった人と次に歌う人は、ひと言、ふた言、言葉を交わし合い、どちらかが席を立って、相手のグループの席で談笑にふけるという場面も見られました。
 こうして地域の見知らぬ同士がふれあい、やがては、そこに「コミュニティ」が形成されていく。「昼カラオケ みんと」というスペースは、そんなコミュニティ作りに確かな役割を果たしているように見えました。
 しかし、友野代表によると、「ステージのある昼カラオケ」が果たす役割は、それだけではありません。ステージに上がってスポットライトを浴びる――という行為そのものが、高齢者の脳に、いい刺激を与えているのではないか、と言うのです。

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テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

田舎の「ボロ家」、はたして相続すべき? させるべき?

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 相続&葬儀・墓地のぶっちゃけ話   06 

古民家
田舎に、建てて数十年経つ家がある。
しかし、そこにはだれも住んでくれる人がいない。
あるいは、相続しても住む気がない。
相続しても、させても、
「空き家」になる可能性大な古家。
実は、こういう古家が、
先々、大きな負担となって、
のしかかってくる可能性があるのです。




 総務省の「住宅・土地統計調査」によると、2013年現在の全国の「空き家」は、820万戸にも上っているのだそうです。
 空き家率は、なんと13・5%。7戸に1戸が「空き家」という現状。その35%が、管理されていなかったり、所有者が不明だったりする、「放置家屋」と見られています。
 これが、いま、日本の社会が抱えている大きな問題。少子化が進み、人口の都市部への集中が進む中では、「空き家」はますます増えることが予想されています。
 このまま「空き家率」が上昇し続けると、社会は荒廃していきます。
 「空き家」のまま放置された家屋には、雑草がはびこり、木造の家屋などはあちこちが傷み、窓ガラスは割れ、荒れ果てていきます。
 そこには、野生動物や害虫が棲みついて、不衛生になるばかりか、地震や台風などの自然災害に遭うと、倒壊の恐れなども出てきます。あるいは、そこに不審者が入り込んで、犯罪の温床になることも考えられます。
 アメリカの犯罪学者が唱えた理論に、「割れ窓理論」というのがあります。「一枚の割れた窓」をそのまま放置しておくと、「この家の窓は割ってもいいんだ」と考える人間が他の窓も割り、地域のモラルが低下して、やがては、地域全体が荒れ果てていく――という理論です。
 日本も、そうならないとは限りません。このまま「空き家」を放置しておくわけにはいかない――と、2015年の5月に一本の法律が施行されました。「空き家対策特別措置法」という法律です。
 実は、この法律が、けっこう厳しい内容。うかつに、住む気のない「ボロ家」を相続してしまうと、後で大変なことになってしまうかもしれないのです。

男アイコン1
放置した「空き家」には、大きなツケが回ってくる

 極端な言い方をすると、この「空き家対策特別措置法」は、「家屋の放置は許さない」という法律でもある――と解釈できるかと思います。
 この法律によって、倒壊する恐れがあったり、衛生上問題がある空き家に、市町村が立ち入って調査する権限が与えられました。所有者が調査を拒めば、20万円以下の過料が科せられます。
 調査の結果、「特定空き家」と判断されると、「空き家」の所有者は、ちょっと大変なことになります。まとめてみましょう。

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テーマ : 住宅・不動産
ジャンル : ライフ

「復活」を信じる文化と「生まれ変わり」を信じる文化

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 晩年の哲学   07 

哲学先生 死んだら、私たちはどこへ行くのか?
これについては、世界には、
まったく異なる2つの考え方が存在します。
死んでも「復活する」という文化と、
「来世」に「生まれ変わる」という文化です。
あなたは、どっちを信じますか?




 あなたは、こんなことを考えたことがありませんか?

 もし、この肉体が滅んでしまったら(つまり、死んでしまったら)、
 この肉体に宿った「わたし」という人間は、その魂は、
 どうなってしまうんだろう?


 支配人・長住は、子どもの頃から、そんなことばかり考えて、親や教師に尋ねたりもしましたが、返ってきたきた答えは、「そんなつまらんことば考えんで、勉強せんか!」(父親のひと言。九州弁です)でした。
 ムリもない。これには、答えがないんですね。
 あのお釈迦さまでさえ、マールンクヤという弟子に同じことを尋ねられたとき、「そんなことはわからん」と答えました。
 
 死んだあとのことなど考えて、どうするつもりだ?
 それよりも、いまをどう生きるかを考えなさい。


 というわけです。
 儒教の始祖・孔子もこう言っています。

 いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らんや。

 いまだに生きていることの意味さえわからないのに、どうして死んだ後のことまで考えられようか――という意味です。
 言われてみれば、おっしゃるとおり――と思います。
 とはいえ、気になりますよね。死んだ後も、自分は「自分」でいられるのだろうか?
 実は、これについては、世界には2通りの考え方があります。

女の子アイコン2 「前世」「来世」を信じる「生まれ変わり」の世界

 よく、私たちは、「来世」とか「前世」という言葉を使います。
 生まれる前には、どこか別の世界でまったく別の命を生きていた(=前世)し、死んだ後も、どこか別の世界に行って、まったく別種の命を生きることになるかもしれない――というわけです。
 「別の世界」は、もしかしたら、甘い香りの漂う「天国」かもしれない。しかし、もしかしたら、ゴキブリやミミズになって地を這い続ける「畜生」の世界かもしれない。
 どの世界に生まれ変わるか――を決めるのは「最後の審判」で、その裁判長を務めるのは、みなさんご存じの「閻魔大王」です。
 この世で「いい行い」を重ねれば、「天道」「人道」などの「いい世界」に転生できるが、「わるい行い」を積むと、「地獄道」などの「わるい世界」に生まれ変わるゾ。
 日本では、子どもの頃からそう教えられて育った人も多いかと思います。

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テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

晩年に友だちが多い人の、ちょっとした「脳の習慣」

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 「晩友」&「コミュニティ」   05 

砂丘のふたり
晩年を迎えても、すぐに友だちが作れる人と
友だちもなく「孤立」していく人。
その違いを生み出すのは、
ちょっとした「脳の習慣」の違いです。
友だちができやすい人の脳は、
どんな習慣を身に着けているのでしょう?




 歳をとるにつれ、友だちが減っていく一方――という人もいれば、歳をとっても、新しい友だちが次々にできてしまう――という人もいます。
 そもそも社交性があるかないかという性格も関係するでしょう。何か社会的活動を続けているかどうか、も関係してきます。お金があるかどうかも、もしかしたら関係するかもしれません。
 しかし、それらの条件がすべて同じだったとしても、「晩友」ができるかどうかの差を生み出してしまう要因が、ひとつだけ存在します。

カラスあなたは、初めて会った人を覚えていられますか?

 悲しいことではありますが、何か「新しいこと」を記憶する能力は、歳をとるごとに衰えていきます。「人」に関しても、同じです。
 こんなことを感じることはないでしょうか?

  あれ? あの人、どこかで見たような気がするんだけど、どこで会ったんだっけ?

 筆者・長住も、しょっちゅう、そんなことを感じています。
 しかし、これじゃダメなんですね。せっかくだれかに会って、もしかしたらその人とは「友だち」になれたかもしれないのに、「だれだっけ?」なんて言っていたのでは、「晩友」は作れません。
 こんなとき、多くの人はこう思う人かもしれません。

  歳だな。オレも脳細胞がボケちまったか……?

 たぶん、この感じ方は、正確ではないだろうと思います。だいたい、「脳細胞」という言い方も正確ではありません。言うなら、「脳の神経細胞」ですが、この神経細胞そのものが劣化するということは、何か病的な原因でもない限り、あまり考えられないからです。
 衰えるのは、神経細胞そのものではなく、神経細胞と神経細胞をつなぎ合わせる「ネットワーク」だ。
 脳科学者たちは、そう指摘しています。

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テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

「駅の音」から「質量」が消えた、平成「自動音声」の時代

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 昭和は遠くになっちゃった…?   01 

読書する爺ちゃん
私たちが青春を過ごした「昭和」という時代と
平成の「いま」を比べて、いちばん違うと感じるのは、
生活の音です。特に変わったのが「駅の音」。
「自動音声」が主流となったいまの音には、
「質量」が感じられないのです。




 「団塊の世代」と呼ばれているみなさんは、その思春期から青年期にかけての多感な時代を、昭和とともに駆け抜けたはずです。
 すべての事柄が目まぐるしく変わっていった「昭和」という時代。支配人・長住も、毎年のように変わっていく時代の変化に目を白黒させながら、おとなへの階段を上りました。
 そんな変化の中には、「残念だ」と感じる変化もありました。
 「エッ、無くなっちゃうの?」と寂しく思った変化もありました。
 もっとも「変わったなぁ~」「残念だなぁ」と思うのは、「」です。
 「音」と言っても、音楽の「音」ではありません。街で耳にする生活の「音」。これが、「今」と「昔」では、まったく違うんですね。
 ひと言で言うと、昔の音は「アナログ」、いまの音は「デジタル」。それもあるのですが、もっと「違うなぁ~」と感じるのは、その「質量」です。

 昔の音には「質量」があった。

 私は、つくづくそう思います。
 それをもっとも感じるのが、「駅の音」です。

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テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

天国には連れて行けない「イヤな自分」の眠らせ方

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 晩年の哲学   06 

哲学先生 眠りに就こうとする私を
邪魔しにくる者がいます。
それは、「後悔」とともに現れてくる「イヤな自分」。
そんな自分は「後悔」ともどもスリープさせないと、
安眠はおろか、安心して永眠もできません。
さて、どうするか?




 「後悔」には、いろんな種類があります。
 「あれもやらなかった」「これもやらなかった」が、「後悔」となって胸を苦しめる人もいるかもしれません。「達成感」を求めるタイプの人たちに多い「後悔」です。
 逆に、「イヤなことをやってしまった」「ひどいことを言ってしまった」という「後悔」に苦しむ人もいるかもしれません。
 そんな後悔が、後から後から押し寄せてきたのでは、安らかに「永眠」することはできません。「永眠」はおろか、日々の「安眠」も得られないに違いありません。
 もともと、達成感になどあまりこだわらないタイプで、どちらかと言うと「楽天家」をもって任じる支配人・長住ではありますが、それでも、ある夜、ふと何かの後悔が頭の中に浮かんでくることがあります。いったん、その後悔が頭の中で一定の領域を占めると、それはどんどんふくらんでいき、さらにそこへ、他の後悔までが湧いて出て、脳は「後悔モード」一色。こうなると、もう眠れなくなってしまいます。
 さて、そんなときはどうするか――です。

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イヤな「後悔」は、「言語化」されて左脳に現れる!

 後悔の程度が軽微であれば、私は、「ま、いいか」と頭の中の「後悔」を軽く鼻息で吹き飛ばし、「それよりも、明日会う○○ちゃん、美人だといいな」などと、「明日のいいこと」を考えます。この程度で、脳の中に芽生え始めた軽微な「後悔」は、だいたいは、どこかへ飛んで行ってくれます。
 しかし、この程度では、消えてくれない後悔もあります。
 私の場合、いちばんやっかいなのは、

ああ、あの日、あのとき、あの場所で、何であの人に、あんなことを言ってしまったんだろう?
ああ、なんで、あの大事なときに、あんなことをやっちまったかなぁ?

 といった種類の後悔です。それも、自分の人生に決定的な意味を持つことになったような場面での、発言や行動、あるいは行動しなかったこと――についての後悔。
 この手の後悔は、放っておくと「自己嫌悪」という手強い魔物に育ってしまいます。

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テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

「死」からも税金取る…? 納骨堂に課税の愚

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 相続&葬儀・墓地のぶっちゃけ話   05 

墓参女性 従来型の墓地が、承継者もいなくて
「無縁化」してしまう。
少子化が進む日本の社会では、
こうして進行する墓地の荒廃は、
大きな社会問題ともなっています。
そんな中に登場したのが、
「墓地の都市化」とも言うべき
「ビル型納骨堂」!
しかし、ここへ来て、問題勃発!
都が納骨堂に固定資産税を課す
と言い出したのです――。




 宗教法人が運営する納骨堂は、2013年度末で全国に約8000施設あり、なお増え続ける気配を見せています。
 こうした納骨堂には、いろんなタイプが見られます。
 室内に墓石を安置する「屋内墓地」と呼ばれるタイプもあれば、ロッカーの中に遺骨を納める「ロッカー型」、さらには、カードをかざしたりタッチパネルを操作したりすると、遺骨が運ばれてくる「機械式型」と呼ばれるタイプもあります。
 支配人・長住は古い人間ですから、さすがに「機械式」はどうも……と抵抗を感じるのですが、遠隔地の墓地では墓参もままならない――という都市生活者の事情も考えると、こういうシステムもまた、ある意味では必要なシステムではあろうかと思います。
 ところで、ここへ来て、問題勃発!
 なんと、その「納骨堂」に、都が固定資産税を課す――と、言い出したのです。

男アイコン1
「宗派問わず」を問題視した都税の目のつけどころ

 突然の「固定資産税支払え!」命令に驚いたのは、東京都港区の赤坂見附近くに2年前にオープンした「赤坂浄苑」。宗教法人「伝燈院」(本院・石川県金沢市)が経営する敷地400㎡、鉄筋5階建ての「ビル型納骨堂」です。その構造は――

 1Fがエントランス、ラウンジ、寺務所。
 2~3Fは、参拝室となっていて、それぞれ6か所の参拝用ブースが設けられ、ICカードをかざすと、遺骨を納めた厨子が納骨室から参拝口に機械で運ばれてきます。
 4Fは、客殿・客間。参拝者が参拝後の会食・休憩・雑談などに使うほか、法要前の待合や僧侶の控室などとしても使われます。
 5Fは、本堂と庫裏。葬儀や法要などが行われるスペース。

 となっています。
 利用は、午後9時まで。駅近ということもあって、ビジネスマンが仕事帰りに参拝に立ち寄ることもでき、墓参がより身近になり、利用しやすくなった――と言えなくもありません。

 本来は、遺骨の一時預かり施設である「納骨堂」ですが、最近は、「永代供養」を謳う施設も増えています。「赤坂浄苑」も基本は永代供養で、永代使用料は一基150万円。護持費用として年間1万8000円が必要になります。通常の永代供養墓と比べてやや高めですが、利便性を考えると、「ま、これぐらいなら」と思える金額ではあります。
 もちろん、他の納骨堂がそうであるように、利用は、宗教・宗派を問わず。
 ところが、税務当局は、この「宗派を問わず」に目をつけたのです。
 いわく――

(納骨堂事業に利用されている2~4F部分については)教義を広め、儀式行事を行い、及び信者を強化育成することを目的としている宗教法人において、本来的に欠くことのできない活動とは認めがたい。したがって、本件納骨堂については、法348条2項3号の専らその本来の用に供せられるものとの要件は満たさないから、同規定を適用して非課税とすることはできない。

 何を言ってるのかわからない――という人も多いかと思いますが、ものすごくかいつまんで日常語に翻訳すると、

  宗派を問わずに受け入れるというんじゃ、
  本来の宗教活動とは言えないから、
  「非課税」扱いにはできませ~ん。税金取っちゃうもんねェ~。


 です。
 支配人は、腹を抱えて笑っちゃいました。何という形式主義。何という宗教的無知。こんな人たちに、「人の死」や「宗教」を語られるのは、絶対にイヤだ!――と、身の毛がよだつ思いがしたのでした。

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テーマ : 葬儀と墓地のぶっちゃけ話
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手作りの「ご縁カフェ」で町興し~シニア7人の挑戦

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 「晩友」&「コミュニティ」   04 

まつばR外観 一様に高齢化の波に洗われる各地の団地。
「シャッター通り化」の危機に直面した
団地内商店街を活性化しよう――と、
千葉県のとある町で、
7人のシニアが立ち上がり、
自分たちの手でカフェを立ち上げました。
その奮闘記――。




まつばR天井 千葉県柏市北部のベッドタウン、松葉町。「ご縁カフェ・『まつばR(マツバール)』」の天井は、サインや絵を描き込んだボードで埋め尽くされています。その数、およそ1000枚。その数こそが、「まつばR」誕生の秘密を物語っています(写真右)。
 「この一枚一枚には、寄付をしてくださった住民のみなさんの名前が記されているんですよ」と、自慢げに話してくれたのは、同カフェの理事のひとりで、ゼネラル・マネジャーを務める納村健治さん。自らキッチンに立って、料理や飲み物を作るほか、店が企画するイベントの運営などを手がけています。
 「自分たちでコミュニティ・カフェを立ち上げようか」という話が持ち上がったのは、いまから4年前のことでした。

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テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

「してやった」は、心に「負の遺産」を貯める

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 晩年の哲学   05 

哲学先生 
「ありがとう」と心やすらかにこの世を去るか、
それとも、「チクショウ」と呪いながら去るか?
それを決めるのは、心の遺産のありようです。
しかし、私たちは、知らないうちに「負の遺産」を
貯めてしまう言葉を使ってしまいます。それは――。




  あの人には、いろいろしてやったのよぉ。なのにさぁ……。
  ああ、あいつねェ。面倒みてやったんだよなぁ、いろいろと。それがよぉ……。

 みなさんは、心の中でこんな言葉を口にしたこと、ないでしょうか?
 今回、取り上げるのは、ここに登場する「してやった」という言葉です。
 もし、あなたの心の中に、この「してやった」という気持ちが潜んでいると、そういう心は、けっして「平安」を得ることはできない。その「平安」を得られないまま、終焉を迎えることになる――という話をしてみようと思います。

女の子アイコン2 「してやった」が求めるのは、心の「報酬」

 なぜ、「してやった」という気持ちがあると、心は「平安」を得られないのでしょうか?
 「××してやった」は、常に、「報酬」を求めるからです。
 「報酬」と言っても、別に、金銭や物品を要求するわけではありません。求めるのは、「感謝」という報酬です。
 私は、人に「感謝」を求める心ほど、あさましいものはない――と思っています。
 もちろん、感謝されることはうれしいんですよ。しかし、それは、何かをしたことの結果として、思いもかけず返ってくるものであって、期待するものではない。
 私は、そう思っています。
 ところが、「してやった」を口にする人たちは、その「期待してはいけないもの」を期待してしまうんですね。そして、その期待が裏切られてしまうと、口の中で、あるいはあからさまに口に出して、こう言います。

  まったく、あんなにいろいろしてやったのに、ありがとうのひと言もないんだから。

 こういう心は、たぶん、救われない。
 100年生きても、1000年生きても、救われない。
 私は、そう思っています。

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テーマ : 生き方
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