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「達成感」は、あなたの「晩年」を豊かにはしない

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 晩年の哲学   03 

哲学先生 目標を立てることと、それを達成すること。
それが大事――と急き立てられて、
私たちは一生を過ごします。
しかし、最後に残るのは、
何も達成できなくなる自分だ――ということに、
ほとんどの人が気づいていません。




 よく、「人生の目標は何ですか?」と尋ねる人がいます。
 バカなこと訊くなぁ……と思いながら、支配人・長住は、そんなとき、こう答えます。

  特になし。

 その人は、「エッ!? ないんですかァ?」と、変質者を見るような目でお尋ねになるので、私は、仕方なく答えます。

  すべてを失うことです。

 その人は、目をパチクリ。やがて力なく首を振って、「こんなやつに訊いた自分がバカだった」という顔をして、立ち去っていかれます。
 私は、こう思っています。

 人とは、すべてを失う日(=「」)に向かって、
 束の間の日々を生かされている存在にすぎない。


 なので、「私は○○になる」「○○を成し遂げる」などという目標は、設定しないことにしています。目標などは設定せず、その日、その時を、ただ謙虚に、一生懸命生きる。
 それでいい――というより、人とはそうであるべき、と考えています。
 しかし、それでは不安なので、人は、何やかやと目標を設定し、その目標を達成することによる「達成感」を心の糧として、生きようとします。
 人間にとって、これほどの「苦役」はない――と、私は思っています。
 「達成感」を得ようとして「目標」を設定し、やっと「達成感」を得たと思ったら、その瞬間に、その「達成感」は、霧と消えてしまいます。何日かは、その満足感に浸っていられるかもしれませんが、あとには、虚脱感だけが残ります。達成された「目標」は、達成された瞬間に「目標」ではなくなるのですから、この虚脱感を埋めようとしたら、また、新たな「目標」を探すしかなくなります。
 これを、永遠に繰り返すことになるわけです。
 私は、この《目標と達成感》ということを考えるたびに、ギリシャ神話に出てくる「シジフォス」の話を思い出します。

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「達成」しては失う――それが人間の不条理

 シジフォスは、コリントの王で、死神をさえ欺くと言われた狡知に長けた人物でしたが、あるとき、大神ゼウスの隠れ家を告げ口したとしてその怒りに触れ、地獄に落とされて、永遠の責め苦を負わされます。
 その「責め苦」というのは、重い岩を転がして山の上まで上げる――というものでした。シジフォスがやっとの思いで山の上まで岩を運び上げると、その岩は、たちまち急斜面を転げ落ちてしまいます。再び、ふもとまで下りて岩を転がして頂上まで運ぶ。また、転がり落ちる。これを、永遠に繰り返すわけです。
 ギリシャ神話の中には、この種の話がいくつも登場します。
 「目標」と「努力」と「達成感」の関係は、この神話に出てくる「山の頂」と「重い岩」と「転げ落ちる岩」の関係によく似ています。
 神話の中では、この種の話は、思い上がった人間に対する「神の罰」として登場します。実存主義の世界では、人間が背負わされた「不条理」を表す話として取り上げられたりもしました。

 こういう話をすると、みなさんの中には、「目標」なんか設定するな――と言いたいのね、と思う方もいらっしゃるかもしれません。
 違います。
 私が申し上げたいのは、「目標を設定するな」ではありません。《目標を設定して、その達成のために努力する》というのは、少なくとも、受検勉強とかビジネスといった実務的な世界では、有効な手段であろうと思います。
 しかし、実務的には有効――という以上の意味は持ちません。
 そこに、人生の価値を見出そうとしたら、つまずきますよ――ということを申し上げたかったわけです。

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「目標」は、達成できないと「自己嫌悪」だけを残す

 たとえば、子どもの頃やまだ若かった頃の、夏休みとかお正月休みのことを考えてみましょうか?
 よし、この休みの間に、あれもしよう、これもしよう。家はピカピカに磨き上げよう。書きかけた論文や小説を書きあげよう。作りかけたプラモデルを完成させよう。勉強して○○の資格を取ろう。
 そんな欲張りな計画を立てる人もいるかもしれません。
 計画や目標を立てることは、何もしないでのんべんだらりと休暇を過ごすより、数段、有意義なことだと、筆者も思います。
 しかし、その「計画や目標の達成」が「休暇の価値」とイコールになっていると、ちょっと問題あり!
 まず、計画や目標が思ったように遂行できなかったときが問題です。
 「ああ、あれもやらなかった」「これにも手がつけられなかった」と後悔ばかりが残り、ヘタすると、「オレ(私)ってダメなやつだなぁ」という「自己嫌悪」を抱え込むことになります。
 仮に、すべての計画・目標を達成できたとしたらどうでしょう?
 「ああ、やるべきことは、全部、やってしまったなぁ。もう、何にもやることがなくなっちゃった」と、虚脱感に襲われてしまうかもしれません。
 繰り返しますね。
 計画や目標を立てること自体は、大いにけっこう。
 しかし、その遂行や達成に「休暇の価値」を依拠させるような考え方をしていると、その計画や目標が挫折しても、達成できても、虚しさだけを抱え込むことになりかねません。
 人生もこれと同じだ――と思うのです。

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「達成感」はいつか必ず裏切られる

 「休暇」はいつか終わります。
 「人生」もいつか終わります。
 しかし、終わり方が少し違います。
 「休暇」は、終わっても、すぐに次のステージが始まります。しかし、「人生」には「次」はありません。
 しかも、人生は、いろんなことがどんどんできなくなって、最後には「何もできない」という状態になって終わります。「達成感」は、どんどん得られなくなって、フェイドアウトしていく。それが、人の一生というものです。
 言い方を変えると、こういうことです。

 「達成感」頼みの人生は、
 最後には、必ず裏切られる。


 「目標を持つこと」と「達成すること」が大事――と主張する人たちの人生は、おそらく、この「喪失感」に耐えられないだろう、と筆者は思うのです。
 残念ながら、人の「晩年」とは、どんどん達成感が得られなくなっていくプロセスと言っていいかと思います。
 「目標」や「達成感」は、ほんの一時、あなたの人生の刺激剤となってくれるにすぎない「消えもの」。そう思っていれば、「晩年」の気の持ちようは、ずいぶんラクになるに違いない。支配人はそう思うのですが、いかがなものでしょう?

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はじめまして。

世界はある目的に向かって進んでいるのではない・・・ということを若いときニーチェを学んで知った者です。

それなりに職業生活を送ってきて、今、最終盤にたどりつきました。

まだまだ、趣味の世界では、達成したいこともあるのですが、それは「気晴らし」以上のものではありません。

これから、時々おじゃまさせていただきます。

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