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「復活」を信じる文化と「生まれ変わり」を信じる文化

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 晩年の哲学   07 

哲学先生 死んだら、私たちはどこへ行くのか?
これについては、世界には、
まったく異なる2つの考え方が存在します。
死んでも「復活する」という文化と、
「来世」に「生まれ変わる」という文化です。
あなたは、どっちを信じますか?




 あなたは、こんなことを考えたことがありませんか?

 もし、この肉体が滅んでしまったら(つまり、死んでしまったら)、
 この肉体に宿った「わたし」という人間は、その魂は、
 どうなってしまうんだろう?


 支配人・長住は、子どもの頃から、そんなことばかり考えて、親や教師に尋ねたりもしましたが、返ってきたきた答えは、「そんなつまらんことば考えんで、勉強せんか!」(父親のひと言。九州弁です)でした。
 ムリもない。これには、答えがないんですね。
 あのお釈迦さまでさえ、マールンクヤという弟子に同じことを尋ねられたとき、「そんなことはわからん」と答えました。
 
 死んだあとのことなど考えて、どうするつもりだ?
 それよりも、いまをどう生きるかを考えなさい。


 というわけです。
 儒教の始祖・孔子もこう言っています。

 いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らんや。

 いまだに生きていることの意味さえわからないのに、どうして死んだ後のことまで考えられようか――という意味です。
 言われてみれば、おっしゃるとおり――と思います。
 とはいえ、気になりますよね。死んだ後も、自分は「自分」でいられるのだろうか?
 実は、これについては、世界には2通りの考え方があります。

女の子アイコン2 「前世」「来世」を信じる「生まれ変わり」の世界

 よく、私たちは、「来世」とか「前世」という言葉を使います。
 生まれる前には、どこか別の世界でまったく別の命を生きていた(=前世)し、死んだ後も、どこか別の世界に行って、まったく別種の命を生きることになるかもしれない――というわけです。
 「別の世界」は、もしかしたら、甘い香りの漂う「天国」かもしれない。しかし、もしかしたら、ゴキブリやミミズになって地を這い続ける「畜生」の世界かもしれない。
 どの世界に生まれ変わるか――を決めるのは「最後の審判」で、その裁判長を務めるのは、みなさんご存じの「閻魔大王」です。
 この世で「いい行い」を重ねれば、「天道」「人道」などの「いい世界」に転生できるが、「わるい行い」を積むと、「地獄道」などの「わるい世界」に生まれ変わるゾ。
 日本では、子どもの頃からそう教えられて育った人も多いかと思います。

生まれ変わり循環図 人は「生まれ変わる」という考え方。これを「輪廻転生(りんねてんしょう)」と言います。
 図にすると、「生」と「死」は、「円」を描いて循環しているように見えます(左図)。これがアジアの死生観の基本なんですね。仏教の考え方と思っている人も多いかもしれませんが、実は、これは、仏教本来の考え方ではありません。仏教の元となった「バラモン教」の中に含まれる教えです。

 古代インド人は、この世を「苦界」ととらえていました。
 そんな「苦界」に何度も何度も生まれ変わるのなんてごめんだ。できることなら、そんな「輪廻転生」のサイクルからは逃れたい――と思ったかもしれません。
 この「輪廻転生」の宿命から逃れることを「解脱(げだつ)」と言います。
 どうしたら「解脱」できるか?
 「バラモン」の聖典とされる『ヴェーダ』の中には、『ウパニシャッド』と呼ばれる奥義書が含まれていますが、その『ウパニシャッド』では、こう説かれています。

 この宇宙の根本原理である「ブラフマン=梵(ぼん)」と、個人個人の身体の中に内在する普遍の真理「アートマン=我(が)」は、本来同一のものである=梵我一如(ぼんがいちにょ)。この真理を悟れば、人は「輪廻転生」のサイクルから抜け出せる(=解脱)。

 この『ウパニシャッド』の奥義によって、バラモン教は、思索・瞑想によって真理の悟り=解脱を目指す姿勢を深めていきました。
 仏教も、そんなバラモンの思索的探究の中から生まれた宗教です。「解脱」を目指すところは、バラモン教と同じ。釈迦は、そのためには煩悩を取り払って「涅槃(ねはん)の境地」に至れ――と説きました。

女の子アイコン2 「裁判」のために「復活」させられるアブラハム宗教の世界

 この生まれ変わりの死生観と対照的なのは、「人は死んでも復活する」という考え方です。
 「人が復活する」という考え方は、古代エジプトで生まれました。
 古代エジプト王朝に、オシリスという王がいました。この王は、王座をねらう弟に殺され、死体をバラバラにして捨てられるのですが、その妻・イシスはバラバラになった死体を拾い集めてミイラにし、魂を復活させます。復活したオシリスは弟を断罪し、自分の子・ホルスを王位につける――という話です。
 死者の魂は、元の肉体に復活するという考えは、「オシリス信仰」として古代エジプトの王朝に広がり、以後、ファラオ(国王)の遺体はミイラとして保存するようになりました。肉体が残ってないと復活できない――と考えられたからです。
 この「復活信仰」は、ペルシャのゾロアスター教に受け継がれ、そこに「終末の到来」と「最後の審判」という考え方が登場します。善悪二神論を展開するゾロアスター教では、こう考えられていました。
 終末を迎えると、善神と悪神の間で最後の決戦が闘われ、最終的には善神が勝って「善の国」が建設されるのですが、そのとき、「最後の審判」が開かれて、すべての人々が裁かれる――です。

 この「終末論と最後の審判」という考え方は、以後、ユダヤ教に受け継がれ、そのユダヤ教から生まれたキリスト教にも、後に登場するイスラム教にも受け継がれていきます。
 この3つの宗教は、いずれも同じ唯一神を信仰し、自分たちを「預言者アブラハムの子孫」とするところが共通しているところから、「アブラハム系宗教」と総称されることもあります。
 これらの宗教では、この地上での「肉体の死」は、あまり重要なこととは考えられていません。それは、あくまで「通過点」にすぎない――と思われているからです。
 何の通過点かというと、「神の国の建設」です。

復活図 

 人類は、その「創生=誕生」から最後の「神の国の建設」にいたるまで、一直線に引かれた時間軸の上を歩む。それが、アブラハム系の宗教の考え方です。図にすると、こんな感じです(上図)。
 いよいよ、神の国が建設されるというとき(=終末)には、死者はすべて復活させられて、「最後の審判」で裁きを受けます。
 イスラム教の教えでは、このとき、ひとりひとりの善行と悪行が秤にかけられ、最後の楽園に迎え入れられる者と地獄に落ちる者が分けられます。この楽園と地獄の差があまりに激しいので、イスラムの世界では厳しく戒律を守ろうとするのだし、「聖戦」に従事して命を落とせば楽園に迎えられると教えられれば、「自爆テロ」にも挑むなのだろう――と考えられています。

女の子アイコン2 「火葬」にこだわる日本人と「土葬」にこだわる欧米人

 「生まれ変わる(輪廻転生)」ことを信じて最後のときを迎えるか、「生き返る(復活)」ことを信じて最後のときに臨むか?
 それによって、「死」のとらえ方も、少し変わってくるような気がします。
 「輪廻転生」の世界観の中では、人の生と死は、ひとつの循環サイクルとして考えられますが、「復活あり」の世界観の中では、人の生と死は、一直線上で考えられます。
 いちばん違うのは、遺体をどうするか――という考え方です。
 「生まれ変わり」の世界観をベースに持つ仏教徒やバラモン教から変化したヒンドゥー教徒の場合は、遺体を「火葬」にすることが多いのですが、「復活」を信じるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の世界では、「火葬」は嫌われます。
 「火葬」にしてしまうと、「復活」するボディがなくなってしまうからです。しかし、そう言って土葬ばかりにしていると、やがて、墓地がいっぱいになってしまいます。欧米のキリスト教国では、最近は、火葬に付すケースも増えていますが、いまだにイスラム各国では、土葬にこだわる国が多いようです。
 「死後の世界」も、文化により、土地柄により、まちまちなんですね。
 一応、頭の中に入れておいたほうがいいでしょう。

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テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: No title

私の生き方さま

いつもコメント、ありがとうございます。

> 農耕民族の時間は四季を巡って循環し、輪廻思想もそこから生まれるのですね。
> ユダヤ民族は、遊牧民族ですから、時間はどこまでも直線的に・・・

「農耕」は、たぶん、エジプトのナイル流域とかチグリスユーフラテス流域のほうが盛んだったようですよ。
農耕のない地域には、巨大な権力も、力強い神も誕生しませんでしたから。
「循環型」と「直線型」の違いを生み出したのは、むしろ、地勢と気候の違いだろうと思われます。
「直線型」の思考は、広大な平原で生まれ、「循環型」は起伏に富んだ地勢とモンスーン型の変化に富んだ気候が生み出したのではないか――と、言われています。
日本人は、基本的には「狩猟・採集型」の文化だったので、「自然崇拝=アニミズム」的な精神性が形成されたのだろうと思われます。
平安後期まで、日本では「風葬=自然葬」が主流でした。

哲雄

No title

農耕民族の時間は四季を巡って循環し、輪廻思想もそこから生まれるのですね。
ユダヤ民族は、遊牧民族ですから、時間はどこまでも直線的に・・・彼らの「永遠」は約束された地にたどり着いたときに成就されるといいます。しかし、たまたまたどり着いた場所が、神に与えられた地だと言い張られると、先住民はたまったもんじゃないですね。

日本人の感性は、循環的なのでは、と思います。「土に還る」のも「煙となる」のも、たいして変わらないと感じるのではないでしょうか。
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