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「老いゆく日々」は、「願う」よりも「祈って」過ごす

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 晩年の哲学   08 

哲学先生 「晩年」とは、
願っても叶えられることが少なくなる日々です。
それでも願い続けていると、
叶わない願いに不満だけが募っていきます。
私は、祈ります。ただ、
過ぎ行く日々が、平穏でありますように――と。





 愛は願いではなく、
 愛は祈りのようだね


 ひと昔前、「いいちこ」のコマーシャルで流されたこのフレーズ、頭にこびりついている人も多いのではないかと思います。ビリー・バンバンの曲で、『愛は祈りのようだね』とタイトルがついています。
 エッ、どんな曲だっけ――ですか?
 参考までに、こんな曲でした。――You Tubeより



 歌詞の「愛は願いではなく……」の前に、「愛しても愛しても 愛しつくせやしない」とあるのですが、これが、「愛が《願い》ではなく《祈り》のようだ」の理由となっているように聞こえます。
 ところで、この曲を聴いた人の中には、こう思った人もいるのではないか、と思います。

 エッ、「願い」と「祈り」……?
 どこが違うっていうの?


 違うんですねェ、これが――という話を、今回はしてみようと思います。そして、この違いを悟ることが、心豊かに老後を過ごすためには大切。そんな話をしてみようかと思います。

女の子アイコン2 「願い」は「欲求」、「祈り」は「愛」

 「願い」は、英語で言うと、「ディザイア(desire)」または「ウオント(want)」。「ディザイア」は「ウオント」よりも強い欲求を表します。そして、その原料は、「欲望」です。
 一方、「祈り」は、英語で言うと、「ウィッシュ(wish)」または「プレイ(pray)」。「プレイ」のほうが、自分を低い位置に置いていて、「祈り」を込める対象は「神」だったりします。こちらの原料は、「」と言っていいのではないか――と、私は思っています。
 「願い」は、「何かが欲しい」と自らの「利益」を求めるときに使いますが、「祈り」は「自分が×××でありますように」と祈るだけでなく、「○○が×××でありますように」と、他者のために捧げられることもあります。
 「願い」の結果は、「実現(成就)」か「裏切り(挫折・失敗)」ですが、「祈り」は結果に左右されません……というか、結果を気にしません。

 私たちが、人に対して、あるいは自分自身に関して望むことには、「願い」もあれば「祈り」もあります。
 そして、私たちはしばしば、「願い」と「祈り」を取り違えてしまいます。
 いくつか、サンプルを挙げて、「分別(ぶんべつ)」してみましょう。

あの人がポックリ逝って、生命保険金が入ってきますように。
  判定  ――「願い」
同様に、「株価が上がってくれますように」「このマンションが高く売れますように」「宝くじが当たりますように」も、「願い」です。

この世の中が、平和でありますように。
  判定  ――「祈り」
同様に、「餓えた子どもたちが救われますように」「家族が仲よく暮らせますように」も、「祈り」です。

孫が「××中学」に受かりますように。
  判定  ――「願い」
同様に、「孫のチームが甲子園に行けますように」「40の息子に早く嫁が見つかりますように」なども、「願い」です。

ダンナ(カミさん)と子どもたちが、いつまでも元気でありますように。
  判定  ――「祈り」
同様に、「みんながいつまでも仲よくいられますように」「この子たちの悩みや苦しみが取り払われますように」なども、「祈り」です。

このシミ、シワ、何とかならないかしら?
  判定  ――「願い」
同様に、「あと20歳、肌を若返らせてください」「若いやつらに負けてられない。もっと、パワーを与えたまえ!」なども、「願い」です。

明日もまた、穏やかな一日が迎えられますように。
  判定  ――「祈り」
同様に、「きょうは〇〇さんにきついことを言ってしまった。どうか許してくださいね」「あの人の心が癒されますように」なども、「祈り」です。

 きりがないので、これぐらいにしておきましょうか。
 「願い」と「祈り」の違いが、何となくおわかりいただけたでしょうか?
 いちばんの違いは、獲得したいものがあるかどうか、かもしれません。獲得したいものがあれば「願い」、なければ「祈り」。私は、そう言ってもいいか――と思っています。

女の子アイコン2 「願い」は、人を傷つけることもある

 「晩年」の心を平和に保つためには、「願う」のではなく、「祈る」べき。
 私は、そう思っています。
 「願い」には「獲得したいもの」がありますから、それが獲得できたかどうかに、心の平安が依存することになります。
 あんなに願ったのに、叶えられなかった――となると、それは、後悔や挫折感や敗北感を生み、ときには、その願いを阻害したものに対する憎悪を醸成することにもなります。
 それでは、心穏やかな「晩年」を過ごすことは、たぶんできません。

 私は、極力、「願わない」ことにしています。
 「ご利益」をうたう神社・仏閣に願をかける――なんてこともしません。
 ただ、祈るばかりです。
 祈っているうちにくたばってしまうかもしれませんが、それでも祈り続けようと思っています。
 祈る相手は……?
 神かもしれないし、仏かもしれない、そういう「普遍的な何か」です。
 祈ることは何か……ですか?
 それは、「個人情報」ですから……なんちゃって。
 でも、現世利益でないことは確かです。

 愚かで、弱い、このちっぽけな存在を、その罪と愚かさから救ってほしい。
 このちっぽけな存在が生きているこの小さな世界を、
 平和で、愛に満ちた世界にしてほしい。


 大まかに言うと、そんなところでしょうか。
 このブログを訪れてくださったみなさんの日々が、安らかで、恵み豊かなものでありますように。
 これはもう、毎日のように、祈っておりますですよ、ハイ。

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ジャンル : ライフ

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Re: No title

呑兵衛あなさま

コメント、ありがとうございます。
お返事、遅くなってすみません。

「Oh my God!」は、「念仏」じゃなくて、「コンチクショウ」ぐらいの感嘆詞ですね。
キリスト教徒は、あまり「God」とは言わないようですよ。
祈るときには、「God」じゃなくて「Jesus」かまたは「Father」「Lord」だと思います。

> 無信心の私としては、“祈り”は神などの他者に対する行い、“願い”は自分に対する行い...という仕切りです。したがって、祈ることはしません。

私は、基本的には唯物論者なので、あまり「祈り」はしないのですが、
欲もないので、「願い」もしません。

哲雄

No title

キリスト教徒の念仏【oh my God!】は、“祈り”or“願い”。
無信心の私としては、“祈り”は神などの他者に対する行い、“願い”は自分に対する行い...という仕切りです。したがって、祈ることはしません。

次回は“恋”vs“愛”のテーマでお願いします。
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