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「明日でいいこと」は、今日するな!


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 晩年の哲学   10 

哲学先生 
心静かに「晩年」過ごそうとするとき、
それを妨げるものに「後悔」があります。
「これもやらなかった、あれもやらなかった」
そんな後悔を眠りに就かせるには、
「ねばならない」から自由になる必要があります。




 「今日」をやさしく終わりにしようとするときに、立ち現れる「後悔」という魔物。
 このシリーズの第6回『天国には連れていけない「イヤな自分」の眠らせ方』では、「イヤな自分」という後悔の話をしましたが、「後悔」には、もうひとつ、やっかいなヤツがいます。
 それは、「あれも、これも、やらなかった」という後悔です。
 この「やり残したこと」が気になり始めると、なかなか眠ることができなくなります。
 筆者などは、ガバッとはね起きて、「やっぱり、やっとくか」と机に向かったりするのですが、しかし、もう寝ようか――という状態から仕事に向かっても、大した仕事はできません。ただ、いたずらに脳が疲れるだけです。

 なぜ、「やり残したこと」があると、眠れなくなるのか?
 ひとつには、「性分」があろうかと思います。「貧乏性」という性分です。
 「これだけやったんだから十分」と考えるのではなく、「もっとやれるはずなのに、これだけしかやらなかったなぁ」と考えてしまう性質で、これも筆者は、「悲観主義」の一種だと思っています。
 この「悲観」を生んでしまうのは、「××すべきである」というものの考え方ではないか――と、筆者はニラんでいるのですが、さて、この考え方はどこから出てくるのか?

男アイコン1
「貧乏性」が「今日」を息苦しくする

 かつて、筆者が学んだ英語の構文に、こういうのがありました。

  Don’t put off till tomorrow what you can do today.

 おそらく、中学校の英語の教科書に出てくるおなじみの構文だと思うのですが、直訳すると、こういう意味です。

 「今日できることを、明日に伸ばすことなかれ!」

 筆者・長住も、どちらかというと、そんなふうに考えるタイプでした。
 楽観主義者のくせに、「なすべきこと」に関しては貧乏性で、「今日できること」どころか、「明日でいいこと」も、「2日後でいいこと」も、「今日のうちにすませておこう」と考えてしまうような性質を持っていたんですね。
 ところが、こういう性質を「おまえ、それ、止めたほうがいいよ」と忠告してくれた人がいました。
 その人は、筆者が就職した出版社で先輩だった人。その人が言うんですね。

そんなふうに考えてると、おまえ、いつも、明日のこと、明日の明日のこと……というふうに追い立てられて、今日を見る余裕がなくなるんじゃないか。

 目からウロコでした。
 そして、その人は、驚く私にこう言ったのです。

  Don’t do today what you can do tomorrow.

 直訳すると、こうです。

 「明日でいいことは、今日するな!」

 オーッ! と開眼した私は、以後、「どうしても今日のうちにしなければならないこと」以外は、「ま、明日でいいか」と思うようになりました。
 これで、眠れない夜が、ずいぶん、少なくなりました。

男アイコン1
「ねばならない」から自由になる

 「明日のために、できることは今日のうちにやってしまおう」と考えてしまうのは、ひとつには、前にも申し上げた「貧乏性」ゆえ。その「貧乏性」の背景には、「明日、どうなるかわからないから」という「悲観」が潜んでいる――と申し上げました。
 そういう「悲観」があるので、「××すべきである」という義務感が生まれ、その義務を果たせなかった自分を責める気持ちが生まれるのだろうと思うのですが、こうした義務感を生み出すのには、思想的背景も存在します。
 筆者・長住が「怪しい」とニラんでいるのは、「禁欲主義」です。
 この「禁欲主義」は、19世紀以降は、「勤勉」「節約」「貯蓄」とセットになっています。

 快楽に流されることなく、勤勉に働け!
 そうして得た財貨は、ムダ使いすることなく、しっかり節約して貯蓄せよ!


 という思想です。
 ヨーロッパでは、ビューリタニズムが、日本では一向宗(浄土真宗)が、人々にこうした価値観を植え付け、欧州ではそれが「資本主義」を生み出す思想的バックボーンとなり、日本でも、近江商人や伊勢商人を生み出す原動力となりました。
 こういう価値観を持つ人たちにとっては、「今日できることは今日のうちに」という「ねばならない」は、生活の根幹を成す信条となっていったのではないか――と思われるわけです。
 浄土真宗門徒であり、後に、プロテスタントに転向した筆者・長住にも、多かれ少なかれ、そうした信条が染みついていたのかもしれません。
 なわけなので、私にとって、この「ねばならない」から自由になるというのは、けっこう、骨の折れる作業でした。
 しかし、自由に、なりました!
 自由になれたのは、「しょせん、この身は、いつか滅ぶのだから」と悟るにいたったからです。「この身が滅ぶ」ということは、「明日のために」というその「明日」もまた、いつの日か消えてなくなるということだ――と気づいたからです。

 「明日」のために――と、「今日」という日を楽しむことを放棄し、
 いつとも知れない「将来」のために――と、
 「現在」という時間を享受することをためらう。


 これでは、いつまで経っても、「いまを生きる」ということにならないではないか。
 だったら、「いま」を大事に、そのありがたみに感謝し、「いまという一瞬」をしっかり享受して生きたほうがいいではないか――と、考えを改めたのです。
 というわけなので、私はいまでは、平気で、こう考えることができるようになりました。

 ま、いいか。
 明日でいいことは、明日、考えよう――と。


 「晩年」という日々を生きるには、これくらいの精神でいてちょうどいい――と、私は思うのですが、いかがでしょうか?
支配人の近著です


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Re: No title

生甲斐模索中さま


過分なおホメをいただき、
恐縮v-13> です。

元編集者としては、「読みやすさ」は第一に考えてしまいます。
悲しいかな。身に染みついた性分ですね。

哲雄

No title

こんばんは。

記事を読ませて頂きました。内容も素晴らしいですが、さらに凄いのは文章力ですね。

とても読みやすくいつも驚かされております。

Re: No title

呑兵衛あな

コメント、ありがとうございます。

> 私的には「やりたいことがあるなら、即座に実行すべし」です。

私も同感です。
「明日でいいことは、今日するな」は、
「明日のために――とガマンせずに、いま、やりたいこと、いまやるべきことをやりなさい」
という意味です。
つまり、「明日のために」と「いま」という時間を「貯蓄」するな――という意味です。

> 高齢者とは、明日があると自惚れられる年代ではありません。
> この刹那の後が無いかもしれませんし、明日の目覚めが無いかもしれません、

私も、日々、それを覚悟して生きています。
もっとも、戒めるべきことは、
「いまは、そんなことやってる場合じゃない」と、
「いま」を先延ばしにする精神ですかね。

哲雄

No title

「明日でいいことは、今日するな!」ですか。
私的には「やりたいことがあるなら、即座に実行すべし」です。

高齢者とは、明日があると自惚れられる年代ではありません。
この刹那の後が無いかもしれませんし、明日の目覚めが無いかもしれません、

高齢者に限らず、自然災害や戦争行為があります。
「明日でいいことは、やる必要の無い事」でしょう。必要な事をやるなら今です。
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