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「電気洗濯機」は、ボクたちを幸せにしてくれたか?





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 昭和は遠くになっちゃった…?   04 

読書する爺ちゃん
昭和30年代は、「電化」の時代でした。
毎年のように、家に新しい家電製品がやって来る。
これからは、便利で楽しい時代がやって来る。
だれもがそう信じていたと思います。
しかし、ほんとうにそんな時代になったのでしょうか?




 電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ。
 当時、「三種の神器」と呼ばれた家電製品が、恐ろしい勢いで一般家庭に入って来たのは、昭和28年から33年にかけての時期だった――ように記憶しています。
 もっとも早く発売されたのは、白黒テレビ(シャープ、1951年=昭和26年)でしたが、テレビ放送そのものが、まだ地方では開始されていなかったこともあり、全国的な普及は、いちばん最後になりました。
 1953年(昭和28年)になると、三洋が家庭用の電気洗濯機を、松下が家庭用の電気冷蔵庫を発売して、他社もそれに続きました。
 わが家にやって来たのは、洗濯機が先だったか、冷蔵庫が先だったか、ハッキリしません。しかし、どちらに驚いたかは、ハッキリ覚えています。
 電気洗濯機でした。
 なにしろ、洗濯というのは、家事労働の中でも、もっとも過酷に見えていた労働です。井戸端にしゃがみ込んだ母親が洗濯板と洗濯石鹸を使ってゴシゴシともみ洗いし、それをすすぎ洗いしては、か細い腕に渾身の力を込めて水気を絞る。それを2回、3回と繰り返すわけです。
 あまり体が丈夫とは言えない母親が、洗濯する度に、腰に手をやって「フゥ……」と息を吐き、ストレッチしている姿を見て、子ども心にも「大変だなぁ」と思ったのを覚えています。
 それを、機械がやってくれる――というのですから、驚きでした。
電気洗濯機 と言っても、初期の洗濯機には脱水機なんていうシャレたものはついていません。たいていはこんな姿をしていました(写真右⇒)。いまの人が見たら「何、コレ?」と言うのが、本体に取り付けられたハンドルでしょう。
 団塊の世代の方は、ご存じだと思いますが、これ、ローラー式の絞り器なんですね。洗った洗濯物を上下2段のローラーの間に差し込んでハンドルを回すと、洗濯物が「のしいか」みたいになって出てくる仕組みです。
 それが面白くて、「鉛筆をべっちゃんこにしてみよう」とか「餅を通したらかき餅になるだろうか?」とか「指を通したらどうなる?」などと遊んでいて、母親にこっぴどく怒られたりもしたものです。

ふくろう確かに「洗濯機」は、
私たちを「洗濯」という重労働から解放してくれたが……


 以後、洗濯機は、脱水槽の付いた二槽式へ、やがては、洗濯⇒すすぎ⇒脱水までを自動でやってくれる「全自動」へと進化し、最近は、乾燥機能まで備えた「洗濯乾燥機」までが登場していることは、みなさん、ご存じのとおりです。
 こうした進化を見ていると、支配人・長住は、「ハテ?」と感じることがあります。

 私たちは、はたして、ここまでの進化を望んだだろうか?
 これらの進化は、はたして、私たちを幸せにしてくれているだろうか?


 という疑問です。
 実を言うと、この疑問に対する私の答えは「NO」なのです。
 脱水までを自動でやってくれる洗濯機は、確かに私たちを「洗濯」という重労働から解放してくれました。しかし、乾燥までを自動で――というのはどうか?
 洗い上がった洗濯物を天日で干すという、気持ちのいい仕事を、私たちから奪ってしまっているのではないか?
 そこまでやってくれと頼んだ覚えはないゾ――と、私は思うのです。
 もっとわかりやい例が、掃除機です。

ふくろう
「ロボット」にしてくれ――とまでは頼んでない

 電気掃除機が一般家庭に普及するようになったのは、1955年(昭和30年)になってからでした。
 それまでの掃除は、ハタキほうきが主役。ハタキでふすまや障子、壁のホコリをはたき、畳や床にたまったホコリをほうきで庭に掃き出す――というのが、当時の一般的な家庭で行われていた掃除の仕方でした。こういう掃除のスタイルにとって、ノズルをいちいち畳や床の全面に当ててホコリを吸い取るという作業は、かえってわずらわしいと感じられました。
 しかし、住宅事情が変化していきます。1960年代になると、日本列島は空前の団地ブームとなり、まず、ホコリを掃き出す庭が消え始めました。次に、畳の上からでもカーペットを敷く家が増えました。こうなると、ほうきで掃き出すというスタイルでは、ホコリも塵も除去できなくなります。一気に電気掃除機が、一般家庭の必需品として普及していきました。
 初期の掃除機は、吸い取ったホコリや塵を集塵装置のフィルターで堰き止めて集めるという仕組みでした。ある程度使うと、集塵装置内がホコリでいっぱいになってしまうので、その都度、ゴミやホコリを物理的に取り除かなくてはなりませんでした。そこへ登場したのが「使い捨ての紙パック式真空掃除機」です。1980年代になると、この方式で一気に掃除機の利便性が高まり、現在も、この方式が主流となっています。
 ここまでは、「便利になったなぁ」と感心していればすむ進化だと思います。
 しかし、余計なのはここから先。2000年代になると、なんと「掃除ロボット」が登場します。床に置いてスイッチをONすれば、掃除機が勝手に床を動き回って、ホコリも塵もきれいに吸い取ってくれるというシロモノ。人間は、掃除機を手に持つという労力さえも免除されることになったわけです。
 はたして、これは、人間にとって喜ばしい進化と言えるのか?
 これには、私は「NO」と首を振るしかありません。

ふくろう
家電の進化は、私たちにどんな《幸福》をもたらしてくれたか?

 戦後の家電の進化は、私たちにどんな幸福をもたらし、どんな幸福を奪っていったか?
 それを私なりにまとめてみると、こうなります。

 〈1〉私たちを「きつい労働」から解放してくれた。
 代表的なのが「電気洗濯機」。洗濯物をゴシゴシ手で洗う、絞る……などのきつい労働から、わたしたちを解き放ってくれました。電気掃除機にも、一部、そういうメリットがあったかと思います。

 〈2〉私たちを「厳しい環境」から救ってくれた。
 代表的なものが、「エアコン」や「暖房器具」。夏の猛暑や冬の厳しい寒さに限って言えば、人間の生活を自然の脅威から守ってくれた――という言い方もできるかと思います。「電気冷蔵庫」は、食材の腐敗という脅威から私たちを守り、冷たい食材や飲料を温度上昇から守ってくれました。

 〈3〉私たちを「時間の束縛」から解放してくれた。
 何よりもこの恩恵をもたらしてくれたのは、「電気炊飯器」だと思います。ごはんを炊く間、お釜を見守っている必要がなくなったので、その間、他の仕事に手を回すことができるようにもなりましたし、何よりも大きかったのは、炊飯器にタイマー予約が設定できるようになったことです。この機能によって、私たちは、ごはんを炊くために家にいなくてはいけないという「束縛」から解き放たれ、女性が外に働きに出やすくもなりました。

 他にもいくつかありますが、昭和の家電が私たちにもたらしたメリットは、主には上記3点にまとめられるかと思います。
 そして、それらは、確かに私たちの生活をいくぶん豊かで幸せなものにしてくれました。
 では、デメリットのほうはどうか――?

ふくろう
電子家電が私たちから奪っていったもの

 21世紀に入ると、私たちを取り巻く家電製品は、急速に電子化され、「デジタル家電」と呼ばれるようになります。
 これらの家電は、いずれも、複雑な機能をこなすための集積回路を内部に持ち、人間がいちいち指示を与えなくても、自ら判断して操作を進め、与えられたジョブをこなしてしまう――という機能を備えています。
 私は、こうしてデジタル化された家電があまり好きではありません。そのもっとも大きな理由は、「余計なこと」をしすぎるからです。「余計なこと」まですることによって、私たちからあるものを奪っていきました。
 その「あるもの」とは、主には、次の2点です。

 〈1〉創意工夫する楽しみを奪った。
 デジタル家電では、すべての操作を電子的なプログラムによって管理しようとします。電気炊飯器や電子レンジは、プログラミングされた手順に沿って、材料に火を通し、料理を完成へと導いてくれます。人間は、火加減を見たり、火の通り具合を確かめたりすることなく、家電が知らせせてくれる「チン」とか「プープー」という「調理完了」の知らせを待つだけ。これでは、人間の判断力や創意工夫の能力は、奪われていくばかりです。
 電気冷蔵庫にいたっては、最新のものだと、冷蔵庫の中に何が入っていて、その賞味期限がいつ切れるか――までを表示してくれるものが登場したりしています。そのうち、いまある材料で何が作れるかまで指示するようになるかもしれません。人間の管理能力も、記憶力も、発想力も、家電まかせになって奪われていくに違いありません。
 しかも、それらのデジタル家電は、ネットとつながって「情報家電」になっていくのではないか――とも言われています。
 やって来るのは、日常の生活までもネットに支配される時代。万が一、そこが悪意のウイルスに汚染されたら……?
 考えただけでも、私は、ぞっとしてしまいます。

 〈2〉修理して使うという精神を奪った。
 私は、最近のデジタル家電の最大の問題点はこれだ――と思っています。
 かつての家電の故障は、部品が劣化したとか、配線が切れたとか、主に機械的な故障によるものが大半でした。
 しかし、デジタル化されたいまの家電の故障は、違います。私も何度か経験があるのですが、修理に来て診てもらうと、こういうことを言われることがよくあります。

  ああ、これは、基板を取り換えないとダメですねェ。

 「基板」とは、ICなどの電子部品を配列した板のこと。つまり、その製品を動かす頭脳部分と言っていいのですが、この交換はバカ高いのが通常。ヘタすると、新製品を買ったほうが安いという場合もあり、購入して何年も経つ機材だと、その基板の在庫がないという場合も少なくありません。
 こうなると、その家電製品は「捨てる」しかなくなります。しかも、この「捨てる」が、そう簡単ではありません。
 なにしろ、「基板」というのは、希少なレアメタルなどがふんだんに使われた資源ゴミ。近頃は、専門の業者に依頼しないと捨てることもできない、という場合が多いのです。パソコンやTVなどは、以前からそうですが、最近は、冷蔵庫や洗濯機という「白もの家電」も、ゴミとしては出せなくなりました。
 修理して、修理して、モノを大事に使う――という精神は、こうして私たちの生活から奪われていきました。
 あちこちにゴミ屋敷が増えるのも、不法投棄が後を絶たないのも、あるいは、こうした「捨てられないゴミ」が原因のひとつになっているのではないか――とも私は思うのです。

ふくろう
便利すぎる家電は要らない……?

 そこで結論。
 昭和から平成にかけて、急速に普及した家電製品は、私たちを重労働から解き放ち、時間の束縛から私たちを解き放ったという意味では、私たちを幸せな生活に導いてくれた。
 しかし、私たちから創造力ある知性を奪い去っていったという意味では、私たちの生活から精神的な豊かさを奪っていったとも言える。

 便利すぎる家電は、けっして私たちを幸せにはしてくれない。

 筆者はそう思うのですが、みなさんの感じ方は――?

支配人の近著です

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