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「神様」を探してはいけない

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 晩年の哲学   12 

哲学先生 もうすぐ、2016年に別れを告げます。
年が明けたら、各地の神社や仏閣に、
初詣に出かけようか――と考えている人も
いるのではないかと思います。
水を差すわけではありませんが、
私は、この初詣があまり好きではありません。




 「初詣」というのは、年が変わるという人間側の都合に合わせて、「神様」を感じてみようか――という行為です。
 中には、「今年はどこにお参りに行こうかね?」「おまえの受験もあるから、天神さまにお願いに行こうか?」「それより、お父さんの病気のこともあるから、大師さんがいいんじゃない?」などと、祈願の目的に合わせて、神社やお寺を選ぼうとする人もいるかもしれません。
 別に、それにケチをつけようなんぞという気は、毛頭ありません。季節の節目に、「神仏を感じてみよう」という行為は、それはそれで、日本人の精神と風土に合った行動スタイルとして尊重に値すると、私も思っています。
 しかし、これらはすべて、人間側からのはたらきかけにすぎません。そのときの気分や都合に合わせて、「神を選ぶ」という人間的な行為にすぎないと思うのです。
 それでは、「神や仏」の側からのはたらきかけを受けて、深い知恵を授かる、人生の意味について何かを悟らされるということにはならないだろう――と、支配人・長住は思います。

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人が神を見つけるのではなく、神が人を見つけるのである

 よく、こんなことを尋ねる人がいます。

  神様っていると思う?
  どこにいると思う?

 最近は、「パワースポット」なんてものが流行って、そういう場所に出かけては、「神様」を感じて来ようとする人もいます。
 しかし、私は、「神様を探そう」という人も、「探す」という行為も、あまり好きではありません。
 「神」は、人が見つけるものではない――と思っているからです。
 考えてみてください。
 もし、「神」が「人」によって発見されるのであれば、言い方を変えると、「人」が見つけなければならないような「神」であれば、そんな「神様」は、「人以下」ということになってしまいます。
 そんな「神様」なんて、ありがたくもなんともない。私は、こう思っています。

 「神」というのは、この世界に満ち満ちているもの。
 人がどこにいようと、何をしていようと、
 絶えず私を見守り、導こうとしてくれる、
 そういう存在である。


 「神」と「人間」の関係で言うと、

 人が神を見つけるのではなく、
 神が一方的に人間を見つける。


 そういう関係だと思うのです。
 「神様を探す」というのは、「神様」の立場から言えば、たいへん、失礼な話なわけです。

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人間が見つける「神様」は「都合のいい神様」

 「神様を探す」という人たちがやっていることは、実は、「自分に都合のいい神様」を探しているのだろう――と私は思います。
 恋愛している人は、「あの人と私が結ばれますように」と願い、「良縁祈願」に効果ありという「神様」を探します。
 商売の成功を願う人は、「金運が開ける」という「神様」を探します。
 病気からの快復や健康を願う人たちは、「長寿」や「息災」がかなう「神様」を探します。
 みんな、人間の欲望が生み出した「都合のいい神様」です。そして、こうした「都合のいい神様」の力を「ご利益(りやく)」と称して、ありがたがったりしました。
 つまり、そういう「神様」は、人間の欲望を映し出している鏡にすぎないわけで、そんな「神様」に畏れを感じたりすることは、私にはできませんし、そういう「神様」を感じて、心を浄められたり、やすらかになったりすることも、ないだろうと思います。

 「」を「神様」にしてしまう人たちもいます。
 その「物」とは、何かの像だったり、絵画だったり、お札だったりします。中には、お金そのものを「神」として崇める人たちもいたりします。
 どれも、人間が作り出したものです。そんな「物」を「神」だ――と言ったのでは、まともな「神様」なら怒り出します。
 人間よ、おまえたちは、自らの創造物を「神」にしてしまうのか――というわけです。
 キリスト教やイスラム教の「神」は、こういう人間の態度を「偶像崇拝」として、厳しく戒めました。

 私は、「ご利益」にも「偶像」にも、まったく興味がありません。
 そんなものが、人の心を救う――などとは、ただの一度も思ったことがありません。
 もし、そんなものをチラつかせて宗教への勧誘にやって来る人がいたら、思いきり説教した上で、追い返してしまいます。

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「神」を「何」と言うことはできません

 それにもかかわらず、ある種の人たちは、それはそれは熱心に、「神様」を探そうとします。そんなことをやっていると、人は、人知の及ぶ範囲でしか「神」と触れ合うことができません。なんてもったいないことを――と、私は思ってしまいます。
 もう一度、ハッキリ申し上げておきましょう。

 人の知恵では測り知れないからこそ、神は「神」なのである。

 私たちは、それを「何」と言うことはできません。
 「何」と言うことはできないけれども、そんな「何か」が存在することを、感じたり悟ったりすることはできます。そんなふうに悟ることのできる力のことを「悟性」と言います。
 人間にできることはそこまでだ――と、私は思っています。
 あとはただ、「神様」のほうから自分を見つけてくれていることを信じて、身を委ねるしかありません。
 人間と神とのつきあい方は、そんなものであろう――と、私は思っています。
 人間の側にできることは、ただ、そういう存在がいることに気づき、その恩寵を受けていることを感じて、「ありがたい」と思うことだけです。
 それは、どんなときに、どんなふうに感じるのか?
 その話は、また機会を改めて――。
 みなさん、どうぞよいお年をお迎えください。

支配人の近著です


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