「終わり」を予知しているからこそ、「いま」が美しい

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 晩年の哲学   13 

哲学先生 
あらかじめ「死」を予定に組み込むことができる
唯一の生きもの、それが人間です。
「死」を予定した上で「いま」を生きる。
ほんの束の間にすぎない「いま」という時間を
人は、何のために生きればいいのでしょう?




 「数値、高いですねェ」と、医者は言うのである。
 「このマーカーの数値は、ガンである確率が50%という数字です。私は、生体検査をお受けになることをお勧めしますがね」
 まだ若いその医者は、努めて冷静に、血液検査のデータを解説してみせた。
 不思議なことに、驚きもしなければ、動揺もなかった。
 で、その検査とやらを受けて、悪性の腫瘍が見つかったとして、どうするわけ?
 腫瘍を切除して、抗がん剤やらなんやらでガンと闘って、5年やそこら、寿命を延ばして、それで……「ああ、よく闘った」と満足して、結局は死ぬ?
 そんなことに意味があるのか――と、心底思うので、「ま、一応、考えてみます」とだけ答えて、病院を後にした。

 あ、これ、つい最近の話です。
 どうも、夜中にトイレに立ちたくなる。「やれやれ、歳だな。夜間頻尿かよ」と思っていたら、そのうち、その尿がなかなか出てこなくなった。尿意はあるのに、いざ、トイレに立っても、尿はポタポタ……という感じでしか出ない。
 いわゆる「排尿困難」ってやつだな――と、エコーで検査してみたら、ご多分にもれず、見事な「前立腺肥大」。そのときの血液検査で、マーカーの数値が高いという結果が出て、前出の医師の診断となったわけです。
 その肥大がガンによるものであるかどうかを調べるために、大腸から針を刺して組織を採取し、生体検査をしてみてはどうか――と、医師はしきりに勧めるのですが、私には、あわてて検査を受ける気は、ショージキ、ほとんどありません。
 ガンならガンでもいいや――というのが、正直な気持ちです。
 強がっているのでも何でもありません。
 高齢者と呼ばれるこの年齢まで生きてきた身としては、いつどうなっても、「そろそろいいんじゃないか」と思ってもいるからです。

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「死」を予定に組み込むことのできる唯一の存在=人間

 つまらない話をお聞かせしてしまいましたが、実はこれ、私の死生観にも関わる話なんですね。私は、こう思っています。

 人とは、いつか死ぬために、
 束の間の一生を与えられて生まれてくる生きものである。


 たとえ60年しか生きなかったとしても、85年生きたとしても、それは「束の間」にすぎない――と私は思っています。
 「人」とは何か――と問われたら、私は、間違いなくこう答えるでしょう。

 人というのは、自分が死ぬことをあらかじめ承知した上で、
 「生きる」ことを考えることのできる、地上唯一の存在である。


 「死」をあらかじめ自分の予定に組み込むことができる――というのは、人間の特典。それが5年や10年、早くなろうが遅くなろうが、恐れたり悲しんだりする必要はないじゃないか、と筆者は思うわけです。

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「生きる」は「エラー」を貯めることでもある!

 そうして「終わり」があることを受け入れる覚悟ができてしまうと、「ムダなこと」のためにあがく気持ちには、なれなくなります。
 「ムダなこと」の中には、「成功したい」もあれば、「名声を得たい」もあります。「金が欲しい」もあれば、「いい女を抱きたい」もあります。「格好よく見せたい」もあれば、「いい人と思われたい」もあります。
 「健康でありたい」さえも、「長生きしたい」さえも、ときには「ムダなこと」と思えることがあります。どうあがこうと、人の最後には、「究極の不健康」と言うべき「死」が待ち構えている――と思うからです。
 こうも言えるかと思います。

 「生きる」ということは、
 このボディに「エラー」を貯めていくプロセスでもある。


 息を吸うだけでもエラーは貯まります。
 何か食べ物を口にするだけでもエラーは貯まります。
 体を動かしてもエラーは貯まります。
 「エラー」を貯めるのがいやであれば、それらをすべて止めるしかありませんが、それは、「生きる」ことを停止することと同義です。
 そういうわけなので、筆者は、最近の、行き過ぎではないかと思える「健康志向」にも、ほとんど意味がない――と思っています。健康補助食品なんぞには目もくれません。健康器具などといったものは使ったことがありません。除菌も、消臭もしません。禁酒も、禁煙も、やる気になれません。
 それよりも、与えられた束の間の「いま」という時間を享受することのほうが、よほど大事だ――と思うからです。

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「不安」ゆえに「他者との関係」を閉ざすことがないように

 「いま」を享受するためには、「《終わり》ある《いま》」という時間を与えられていることに、感謝することがたいせつだ――と、筆者は思っています。その「いま」を共有することになった人たちとの関わりに、「愛」を感じることがたいせつだ――とも思います。
 しかし、「いまを生きる喜び」は、ともすると、「終わりがあることへの不安」に押しつぶされそうになります。「喜び」よりも「不安」が増大すると、人は「防衛的」になり、周囲の人間が信じられなくなってしまいます。隣の人が咳をしただけで、「伝染すなよ!」とニラみつけたりするようになります。
 「不安」ゆえに「他者との関係性」を閉ざしかねない生き方。それを「生きている」と言えるのかと言うと、私は「違う!」と思います。
 筆者は、こうも思っています。

 人間は、束の間、与えられた「いま」という時間の中で、
 築くことのできた「他者との関係性」によってこそ、
 限りある命の「継続」を信じることができる。


 「いまを生きる」は、「いい関係を残す」ということでもある。
 長住は、そう思っています。有限であるこのボディは滅んでしまっても、そのボディあるがゆえに生み出した「他者との関係性」は、次の世代へ、またその次の世代へと受け継がれていきます。
 「関係性」は、家族とか愛人とか友人……といった、目に見える関係ばかりではありません。自分がこの世に残した造作物、口にした言葉、人の記憶に残る何か、どこかでだれかのためにした小さなこと、そして主張した考え方や思想――そういうものすべてが、「関係性」なのだと思います。
 筆者は、子孫を作ることはできませんでしたが、他者と関わったという「関係性」だけは、残せたかな(中には、いいものもわるいものもあったかもしれませんが…)と思っています。これからも、だれかと出会うたびに、極力、「いい関係性」を残そうと思って生きていこう――と思っています。
 残された時間がどれくらいあるかはわかりませんが、いいんです、そんなことはどうでも。
 みなさんも、どうぞ、そんな関係性を大事に、「いま」という時間を享受していただきたい――と願って止みません。

支配人の近著です


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