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最近の歌は、なぜ、「鼻歌」にできないのか?





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 昭和は遠くになっちゃった…?   06 


踊る若者どうも、最近の歌は、覚えにくい。
なかなか頭に入って来ないし、
「鼻歌」にして口ずさむというところまで
行かない。実は、これには理由がある。
最近の歌からは、ある種のリアルが、
失われつつあるようなのです。
そこが「昭和の歌」と「平成の歌」の違い――。




 最近の歌は、覚えにくい。
 そう感じている人も、少なくないだろうと思います。支配人も、そう感じているオヤジのひとりです。
 「覚えにくい」というのには、二重の意味があります。まず、歌詞が頭に入って来ない。そして、メロディが脳の中に定着しない。
 歌詞も、メロも、定着しないので、つい、その歌を口ずさむというところまでいかない。つまり、なかなか「鼻歌化」できない。「覚えにくい」ということを現象的に説明すると、そういうことになります。
 昭和のヒット曲には、10年も20年も歌い継がれ、100万枚、200万枚と売れるメガ・ヒットが、何枚も生まれましたが、平成のヒット曲では、それが少ない。
 どうしてか?
 支配人なりに、分析してみたいと思います。

ふくろう
「大衆化」という作業を行うプロがいなくなった…?

 これは、いいことかわるいことか、筆者には何とも言えません。
 いまでも、作詞の専門家や作曲の専門家が、どうすればヒットするかを練りに練って書き上げ、作り上げた曲が、オリコンの上位にランクされたりもします。しかし、それよりも、ミュージシャンが詞を書き、曲を作り、自ら演奏して、ファンに直接、訴えるという形で、発表される曲のほうが多くなったように見えます。それはそれで、音楽の可能性を広げて見せてくれているわけで、そのスタイルそのものは、われわれ団塊の世代が生み出し、支持してきたスタイルでもありました。
 しかし、その結果、何が起こったかというと、音楽という世界の「多ジャンル化」、商品として言うなら、「多品種化」――です。
 さまざまなミュージシャンたちが、それぞれのスタイルで、それぞれの思想やテイストに合う曲を書き、そういう曲には、コアなファンがついて、熱烈に支持する。しかし、そういう曲が一般大衆の心を動員するところまでいくかと言うと、なかなかそうはならない。
 大衆に幅広く受け入れられるためには、曲=メロディをできるだけ単純化したり、詞にインパクトを持たせたり、大衆に共感されやすいメッセージをちりばめたりする工夫が必要になるのですが、そういう工夫は、音楽に限らず、あらゆるアーティストにとって、あまり心地のいいものではありません。
 「大衆に受けるため」は、アーティストがアートに純粋であればあるほど、「大衆迎合主義」として退けられる傾向にあるからです。
 「覚えやすい歌」=「大衆化された歌」と考えると、音楽のこうした「多ジャンル化」は、「最近の歌は覚えにくい」と感じさせる要因のひとつと言っていいかと思います。

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テーマ : お気に入り&好きな音楽
ジャンル : 音楽

家にいながら「出家」する、という「晩年」もあり

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 晩年の哲学   14 

修行僧 損得に流され、競争原理に身をさらし、
愛と憎しみの狭間で揺れ動く。
そんな俗世間の煩悩に振り回される人生を
そろそろ考え直してみようか?
人生も「晩年」の域にさしかかると、
そんなことを考え始める人もいようかと思います。
そんな人たちに注目されているのが、
「出家」してみるという考え方です――。




 女優の清水富美加が「宣言」して、ちょっと、世間の注目を浴びることになった「出家」という言葉。
 そもそも、「出家」とは何よ――と思った方も多いのではないかと思います。
 「出家」とは、本来は、俗世間との関わりを捨てて、得度して僧形(そうぎょう=剃髪して僧服に身を包む)となり、仏門に身を投じることを言います。キリスト教だと、修道院などに入って修道士、修道女として、「キリストに従って生きる」を徹底させるというのが、それに当たるかもしれませんが、これを「出家」というふうには考えないようです。
 なので、ここでは、仏教に限って話を進めたいと思います。
 「出家」の反対語は、「在家(ざいけ)」です。「在家」とは、「俗世間に身を置いたまま」を意味する言葉です。
 「出家」であろうと、「在家」のままであろうと、仏門に入ることはできます。そのために必要になるのが、「得度(とくど)」というプロセスです。

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「仏の教え」に従う誓いを立てる「得度」というプロセス

 「得度」というのは、損得、愛憎、勝ち負けなどの煩悩に振り回される「迷いの世界」から、「仏の生き方」を拠り所とする「悟りの世界」へと渡ることを言います。「この世的な物差し」を捨てて「悟りの物差し」を身に着けるために、師となる僧の教えを受け、「仏弟子」となる誓いを立てること。それが「得度」の意味です。
 宗派によって違いはありますが、この「誓い」には、次の要素が含まれます。

 まずは、「帰依(きえ)」。
 「帰依」とは、「教えを信じて身を任せる」という意味ですが、任せる対象は「仏=仏陀」「法=仏陀が示した教え」「僧=信仰の仲間」の「三宝」とされ、これを「三宝帰依」と言います。「得度」にあたっては、この「三宝」に帰依します――と、誓いを立てるわけです。

 次に、「戒律」を守るという誓いを立てます。
 何を「戒律」として重視するかは、宗派によって違いますが、一般的に知られているのは、「五戒」と呼ばれる次の5つの戒めです。

仏教徒が守るべき5つの戒め=「五戒」
不殺生戒(ふせっしょうかい)……生きものを殺さない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい)……与えられないものを盗らない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい)……夫婦でない関係で性交渉をしない。
不妄語戒(ふもうごかい)……嘘をつかない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい)……酒におぼれない。

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